となりの八朔の実は青い

となりの芝生が青くなくとも、そこに生る八朔の実というものは青く見えるはずさ。自分でも何言ってるかはわかんねえっす。

All Idol's 2D OR NOT 2D But it's all IDOL.

2Dであり2Dではない。しかし、それはすべてアイドルである。

 

 

 

 私は、4年間をラブライブに捧げ、アイドルマスターにやっと一年半を捧げた。時の流れとは早いもので、私のことなど目もくれず、ただ意のままに過ぎてゆく。それでも、過ぎた時は絶対であり、不変である。19年生きてきたものが急に8歳になることはない、同様に、85歳になることもない。過ぎ去った過去の時間は可変の未来の時間とは異なり、変わることはない。

 そんな中、私はやっとこの世に生を受け19年目となった。その不変の時の中で、このような意見をたびたび見てきた。

 

 

ラブライブアイドルマスターは根本的に異なるものであるから、比べるのはおかしい」

 

 

 ほう、とは思った。確かに比べることはよろしくはないだろう。互いのファンが作品を楽しむことよりも敵を排除することに意識を傾けてしまう。いつだって、人間というものは味方を守ることよりも敵を排除することに力を注ぎがちである。偶像崇拝者であれ、それは同じだろう。

 

 

 しかし、比べるのはおかしいという結論に至るまでの道順に、私は疑問を覚える。

 ラブライブアイドルマスターに、根本的な違いなど、あるだろうか?

 

 

 私は熱しやすく冷めやすい体質だ。私は自らのことを金属と称する。名前は柑橘類のくせにな。金属って特に熱しやすく冷めやすいわけでもないんだけどな。そんな私だが、熱しているときは柔軟に知識を蓄え続けられるという自負がある。

 

 

 金属の私が思うに、ラブライブアイドルマスターには、表面上にしか違いはなく、根本には違いなどないと思っている。それはこの二作に限った話ではなく、某国民的アイドルや、つい最近解散したアイドル、メジャーではないにしても、懸命に夢を追い続ける地下アイドル……どんなアイドルにも、「アイドルである」ということに、違いなどあるだろうか。

 

 

 アイドルの語源は『偶像』を示すIdolaである。アイドルがよく偶像と呼ばれるのは、語源の意味が偶像であるからである。偶像とは、信仰の対象だ。信仰に形は不要だが、特に形を得たものを偶像という。形を持つ、ということは、それは2Dではない、つまるところ我々と同じ次元の存在だろう。しかし、ラブライブアイドルマスターも、現実のものではない。つまり、2Dないしはそれより低次元、私たちの世界より高次元である。つまり、先の話と矛盾する。それは、多くのアイドルに言えることであるだろう。この世にありながらも、この世のものでないものだったり、本当とは異なる自らを演じることで仮想上の存在となるものなど、さまざまな形で、でありでない存在となっているのだ。2Dであり2Dでない存在。宙ぶらりんで、不安定なもの。そう、アイドルとは、不定形であり、定義不可であり、実態をもたないものなのだ。どのアイドルにも、これは共通する。定義不可でありながら定義できる唯一の例外である。これも、アイドルのもつ不定形な性質の所以だろう。

 

 

 すべてのアイドルは、2Dであり、2Dではない。この世に存在するものでありながら、この世には存在しない。なんと、なんと美しい。まだまだアイドル界隈若輩の私だが、これほどまでにアイドルが魅力的な存在だとは気づかなかった。多くの人間がアイドルという形を信仰するのも、なかなかうなずける話だ。これほどまでに人を魅了する力があるのなら、多くの人間が熱中するのもわかる気がする。私も、このことに気付かずして魅了された人間の一人なのだろう。

 

 あまりこういうことは言いたくないのだが、私は某国民的アイドルにあまりいいイメージを持っていなかった。しかし、こういった裏側があり、それが多くの人を惹きつけ、しかもそれは今自分の陶酔しているアイドルはおろか他すべてのアイドルに共通する、定義不可に対し唯一例外として定義できるひとつの事だと気付いてからは、すべてのアイドルという存在に面白さを感じたり、興味がわくようになった。

 

全てのアイドルは2Dであり、2Dではない。しかし、それらはすべてアイドルである。

アダムとイブによるヒエラルキー生成内に唯一許された、カタストロフィーを用いた縦横奥行きの渡航である。

 

 これはすべてのアイドルの根底であり、アイドルというものを構成するのに必要不可欠なエッセンスであろう。これさえあれば、あとはどんなものを織り交ぜてもそれはIDOLである。ラブライブも、アイドルマスターも、ほかどんなアイドルであれど、根本、根底は同じであり、織り交ぜられている要素が異なるのみである。

 

 根本が違うから比較するのが筋違いなのではない。根本が同じであるからこそ、比較の必要性がないのである。

 すべてのアイドルの根は同じ。隣に座った航海者がどんなアイドルを推していようと、担当していようと、織り交ぜられた外見や性格のバイナリデータが異なるのみで、それがアイドルという存在であることに変わりはないのだ。同じアイドルなのだ。どうか、比較したり攻撃したりすることなく、ともにアイドルという偶像を崇拝するものとして、互いに手を取り合える世界であってほしいと願う。時に崇拝するものの異なる宗教戦争になることもあるかもしれないが、広い心を持って、アイドルを愛し、応援するものとして、平和な交流が行える環境へと変わっていってもらえればと願っている。

 

 

 

現実にあれ、現実に無かれ、2Dであれ、2Dになかれ、それはすべてアイドルである。

 

 

 

アイドルを推すすべての信仰者に、歓びと熱狂の世界が訪れることを、この記事をもって願う。

 

 

 

 

 

全てのアイドルと信仰者に敬愛をこめて、またこんど!

 

 

Music:『2D OR NOT 2D』